日本語教師もりす

オンライン日本語教師のブログです。夫婦で、大好きな沖縄に暮らしています。中国語・英語・タイ語が話せます。

中国からミャンマーを経て、タイ北部へ渡ってきた華人の歴史

こんにちは、タイ在住のもりすと申します。

早速ですが、タイの北部には中国人がたくさん住んでいることをご存じでしたか。

華人と呼ばれる人たちです。

華人が多く住む村のひとつに、熱水塘という村があります。

チェンマイ北部のこの村付近だけで、3千世帯、2万人ほどが住んでいるらしいです。

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今回はタイ北部の華人の歴史を少し勉強してみましたので、ご紹介しますね。

まずは歴史のおさらい 

毛沢東氏が中華人民共和国を樹立したのが1949年。

いわゆる共産党政権である。

当時中国国内で権力闘争を行っていたのが、蒋介石氏が率いる国民党。

同1949年10月に人民共和国樹立後も、国民党軍は中国西南部海南島などに残っていた。

1950年1月、雲南省に編成された国民党軍は、紅軍によってミャンマーへと逃げざるを得なくなり、もともとミャンマーとタイの国境地帯で活動していた国民党の抗日遠征軍と合流し、第93師団に再編成された。

しかしミャンマー政府は、国境の中に入ってきた国民党軍を討伐しようとし、台湾に圧力を掛け、その結果、1960年代初めごろまでに国民党軍の多くが台湾に撤退した。彼らは国民党第2軍、第4軍と呼ばれている。

その一方で、台湾に行かずにタイ北部に移動した国民党軍も少なくなかった。彼らは国民党第3軍、第5軍と呼ばれている。第3軍93師団の指揮官が李文煥、第5軍の指揮官が段希文である。第3軍の子孫はメーホンソーを中心に、第5軍の子孫はメーサロンを中心に分布しているらしい。

いわゆる残党とも呼ばれる人たちは給料のあてもなく、劣悪な環境で暮らし、麻薬の生産や販売に手を染める人もいたとか。

かつて、タイとラオスミャンマーの3国が集まるゴールデントライアングル地域は、麻薬栽培で有名だった。

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タイ政府も、タイから国民党の残党を追い出そうとした。第93師団の残党たちはタイ政府に協力する立場を選び、1970年代にはタイ北部の共産党ゲリラ討伐の先頭に立った。1982年にはタイ政府が完全に共産軍を鎮圧し、後に功績をたたえて第93師団の残党にタイ国籍を与えた。

それから30年以上がたつ今も、タイ北部のチェンライ、チェンマイ北部には、子孫が中国文化を保って生活している。

ここまでがざっくりとした歴史のまとめです。

現在の中国村の雰囲気

タイ北部の中国村の人々はほとんどが繁体字を使います。なぜなら、簡体字が中国で広まる前に移住したから、また台湾の支援を受けている学校で子どもたちが教育を受けているからです。

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先述のとおり、1950年代以降、華人は中国雲南からミャンマーを越えて、難民あるいは不法入国者としてタイ北部に移り、中国村をつくってきました。

現在、タイ北部の華人は農業などを営み、タイ政府と平和裏に独自の文化を形成しています。

中国村の運営自体は、村長と自治会によって行われていて、タイ政府からある程度の自治権を与えられているようです。

しかしながら人によってはタイ国籍を持ち、人によっては居留証明書を持ち、中には何の正式証明も得ることができていない人も存在しています。

タイ政府から国籍を得ることは決して簡単なことではありません。

基本的に村の公用語雲南語で、普通語(中国の標準語)もほとんどの人が理解できます。タイ語も通じ、時にはタイアイ族もいるのでタイアイ語も聞こえてきます。

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こういう道を走っていると、タイにいながら中国旅行をしているような気分になります。

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国語学校も点在しています。

子どもたちは、日中はタイ語の学校に通い、夜間に中国語の学校で2時間ほど授業を受けます。忙しい毎日ですが、現在の北京や上海で暮らす学生たちよりも学業でのプレッシャーが少ないのか、みんなおっとりしています。

自分にしてほしいと思うように相手にする 

中国村の10代の若者たちに、「中国語とタイ語、考える時どっちがいいの?」と聞くと、大半は中国語と答えます。

でも文字を読むことに自信がなかったり、発音が標準かどうか自信がなかったりするので、話しかける時には親切に話しかけたほうがいいと思います。

それで、「私はいま中国語を勉強していてあまり得意じゃないんだけど、少しいま話せますか」みたいに近づくと、相手も緊張せずに答えてくれます。

中国村の年配の人に、「中国語話せますか?」と聞くと、「話せるよ!」と満面の笑みで答えてくれます。でも多くの場合、雲南なまり全開で、相手の言葉を聞き取るのに一苦労です。しかも、話しているうちに、相手のほうが申し訳なさそうな表情をしたりします。

どうなんでしょうか。

自分の言語に自信がない人って、日本にもいますか。

私は比較的ずっと都市部に住んできたので、あまり会ったことがありません。

いずれにしても、相手の雰囲気を見て、使う言葉を変化させるのは大事ですよね。

言語はあくまで道具、大事なのは何を伝えたいか、何を聞きたいか。

この意識は、どこに行っても大切だと思います。

言語が上達したら、少し相手に合わせてゆっくり話したり、単語を相手が分かる言葉に言い換えたりする。

こんな余裕を身に着けたいですよね!

日本語教師として日本語を教えるにも、別の立場で何かを教えるにしても、相手の思考や感情を見極めて、相手にほどよい言葉をかける。

共通しているような気がします。

また、歴史を学ぶと、タイで暮らす華人がどんな苦労をしてきたか、どんな努力を払っているか、敬意が増します。引き続き、この土地の華人の方たちと交流を深めていきたいと思います。

読んでくださり、ありがとうございました!

 

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